沖縄で暮らした時間は宝物。これからの私とクッポグラフィー
新たな挑戦と叶えたいこと
2020年5月末、沖縄から駒沢公園スタジオのオープンに合わせて東京に戻ってきました。
横浜港北スタジオ、沖縄スタジオ、そして今回の駒沢公園スタジオと、立ち上げに関わるのは今回で3店舗目になります。
最初の横浜港北スタジオの立ち上げ時は、代表の久保、私、そしてもう1人入社したばかりの男の子の3人でした。
それが今では、スタジオだけで3店舗。(ウェディングサロンを入れると4店舗。)
関わってくれる人の数を考えると40人近く。気が付けば大家族となっていました。
また、この度の異動で「スタジオ統括マネージャー」になった私。ちなみに8年前の入社当時は時給900円のアルバイトだったので、大出世です。
そして関わってきたどの店舗にも、会いたくなるご家族がたくさん。さらに、全ての店舗に熱い想いを持った、信頼できる仲間たちがいる。
スタジオは、時間をかけてより大切な場所となりました。
そんなスタジオを俯瞰で見ながら、世の中に私たちの想いを伝えること。スタジオがお客さまやスタッフにとって幸せになれる場所にすること。
これが私のこれからの挑戦したいことであり、叶えたいことです。ちょっと壮大?(笑)
でも、そんな想いを持つようになったのは、これまで3年間過ごしてきた沖縄での生活が大きく影響しているのは間違いありません。
なかなか受け入れてもらえなかった沖縄でのハウススタジオ
沖縄スタジオは今年で3周年を迎えます。
オープン当時、沖縄には自然光で撮影するハウススタジオがほとんどありませんでした。
さらに、50カット以上のデータでお渡しというスタイルがまだ浸透していなかったので「1枚のプランはありませんか?」「データ半分でいいのでお値段安くなりませんか?」という質問をよくいただきました。
私たちは1枚だけではなくてその前後に生まれるストーリーも大切にしながら撮影をしています。
カメラ目線で撮る1枚のために、すごく緊張して固まっている瞬間があったかもしれない。子どもたちを笑わせるために、パパとママがいろんな工夫をして汗をかいてくれたかもしれない。
そうやって、一緒に撮影時間の45分を過ごしてもらうことで撮れる写真があることをお伝えしてきました。
沖縄には、写真の文化がしっかりと根付いているんです。
お父さんが100日写真を撮ったフォトスタジオで100日写真を撮る、なんていうとっても素敵な話も聞きます。
もちろんそんな文化も大切にしつつ、新しいスタイルがあることを知ってもらえたら、選択肢に入れてもらえたら・・・そんな想いで撮り続ける毎日。
それでも、私たちのやり方はこのまま沖縄では、受け入れられないんじゃないか。私の伝え方が悪いのかもしれない、などと落ち込む日も多くあったんです。
でも、そんな私を支えてくれたのも沖縄で出会えたお客様たちでした。
来ていただいお客様には、「ずっとこんなスタジオができるのを待ってました」「写真で泣いたのは初めて」「これから毎年来ます」など嬉しい言葉をいくつもいただきました。
そして、もう少し頑張ってみよう、クッポグラフィーを選んでいただいたお客様に、未来に残る大切な写真を届けようと、ただただ必死に撮影しました。
その結果、3年で何度も来てくださるお客様が増え、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
何より嬉しかったのは、信念を曲げずに伝え続けたことが受け入れてもらえたこと。これは、私の中で大きな自信につながりました。
宝物となった沖縄での暮らし
少し話は戻って2017年の8月のこと。スタジオオープンの少し前、私は沖縄に移住しました。
沖縄にはそれまで全く縁がなく、旅行で遊びにきたことも、沖縄出身の友人知人がいたこともありません。突然訪れた沖縄転勤の機会は、まさに青天の霹靂でした。
横浜港北店ができて3年。店舗を増やす計画は聞いていたものの、まさか次の店舗が沖縄とは。東京かな?関西かな?なんて思っていた私には、予想外の土地。
代表の久保に「沖縄にスタジオやろうと思うんだけど、見に行かない?」と言われてついていくと、初めて見た物件をその場で契約。そして私の沖縄移住も一緒に決まりました。
最初は聞き取れなかった沖縄の言葉も、いまやイントネーションもうつったほど。
怯えて右車線に入ることすらできなかったペーパードライバーの私。気がつけば華麗に駐車できるようにまでなりました。
そんな私は日本で一番小さい県である、香川県で生まれ育ちました。
スタジオのある北中城村に住み始めてすぐ、地元に帰ってきたような気持ちに。大きいイオン、低い建物、広い空、すぐ近くに海、そして潮風。
地方で生まれ育って、都会に憧れて上京してカメラマンになったので、沖縄にきた当初は本当に失礼ながら「なんて田舎なんだろう!」と。(笑)
さらにブランクのある運転をするのがとにかく嫌で、誰かに謝りながら運転をし、ちょっと長い距離を走るとひどい頭痛になるという有様。せっかくの素晴らしい景色に出会いにいくこともなく、片道10分もかからない家とスタジオの往復という日々が続きました。
オープンして半年は、予約も思ったように入らず、「なんで沖縄来ちゃったんだろうな〜」なんてぼやいたことも。笑
そんな風に環境が変わっても、「素敵な家族に出会えるのが楽しみ」ということだけは変わらなかったことに気がつきました。やっぱりご家族を撮影しているときが、私が私らしくいられる時間たったんです。
沖縄のスタジオ立ち上げとともに、沖縄の文化に触れながら暮らしたこと、写真やご家族ととことん向き合ったことは、私自身を知るきっかけにもなったと思います。
沖縄にいる、頼れるスタッフたちのこと
私がいなくなった沖縄スタジオ。でも、心強い仲間が今日もスタジオを支えてくれています。
沖縄のオープンから、一緒にスタイリストとしてスタジオに来てくれていた同い年のなみちゃん。彼女とはオープンから丸2年、ずっとふたりきりでスタジオを守ってきました。
沖縄にきてしばらく腐っていた私は(笑)、なみちゃんにきつく当たってしまったことも本当に多かったと思います。ごめんね。でも、いつも笑顔で誠実で。
私が「こんなことやりたい」と思いついたまま口にしても、ネガティブなことを一切言わずに「やってみます!」と対応してくれて。優しくてガッツのある、笑顔がキュートな子。
そもそも写真スタジオの経験もなくて、ヘアセットや着付けもはじめて。そんな中、必死に勉強して、なんでもあっという間にできるようになってくれました。
なみちゃんは、私が世界一信頼してる人といっても過言ではありません。そのくらい本当に信用している人。
今考えても、なみちゃんじゃなかったら、絶対に成り立たなかった2年だったなと思います。
そして、待ち望んだ赤ちゃんがなみちゃんのお腹にきてくれた時は、めちゃくちゃうれしかったなぁ。どんどん大きくなるお腹をみて、みんなで触って。
このご時世とタイミングで、まだ赤ちゃんに会いにいけていないけれど、早く抱っこしに行きたいな。
お母さんになって、さらに輝くなみちゃんに会えるのを、楽しみにしていてくださいね。
また、なみちゃんの妊娠前に仲間になってくれたゆかさん。そして現・沖縄店長である茜。
さらに、石垣島出身のとよくん、ゆりのちゃん、むっちゃんという素敵なスタイリストたちも加わりました。みんな個性的で、頼もしい仲間です。
東京に戻ってくる前に、みんなといろんな話をしました。自分たちの写真に対する想い、自分の家族のこと、来てくださるご家族に対する想い。
撮影したご家族のことを思ってみんなで泣いたり、もっとこうした方がいいんじゃないか?ということを、素直に言い合えるだいすきなチーム。
私もこのメンバーなら安心して沖縄スタジオを任せられる!と清々しい気持ちで引越しをしたのを覚えています。
これからどんな沖縄スタジオになっていくか、私も楽しみです。
沖縄スタジオオープンとそこでの店長経験は、私にとってチャレンジの連続でした。そして、また新たなチャレンジの機会です。
世の中に「フォトスタジオ」は本当にたくさん。私たちの強みは写真に加え、チームワークとお客さまに心から寄り添えることだと思っています。
年間何百組と撮影しているのに、家族らしさ、その子らしさをみんながもれなく見つけ出します。
笑顔はもちろん、泣き顔も、ちょっとした仕草も、家族と一緒になって「かわいいな〜」って飽きずに見てるスタッフの姿。時には、その家族のことを思ってみんなで泣いたり、笑ったり。
私は、そんなチームがとても誇らしい。全ての店舗に関わってきた私が、誰よりも私たちの写真の素晴らしさ、スタッフたちの魅力を知っています。
だからこそ私たちのを想いをしっかり届けるにはどうすればいいのか。そしてスタッフを含め、私たちに関わった方々が幸せを感じられる環境を作り出すにはどうすればいいのか。
難しいかもしれませんが、沖縄でちょっと強くなった私はそれを叶えてみせたい。
そして繋がり続ける関係をつくるフォトスタジオで、みなさんと一緒に歳を重ねていきたいです。
全てのスタジオが私の居場所なので、今後も変わらぬお付き合いをどうぞよろしくお願いいたします。