普通の毎日は当たり前じゃない。「写真を撮りたい」と思ったときがタイミング
いつも当たり前にある毎日がある日突然なくなってしまった時、何気なく撮っていた写真がかけがえのない1枚になることがあります。
思い出や想いに紐付く写真の力、それはきっと誰しも1度は感じたことがあるのではないでしょうか。
私はその1枚を残すお手伝いがしたい。その想いを自分の経験とともに綴ってみました。
あるようで少ない、大人になってからの家族写真
クッポグラフィーのスタジオには、たくさんの子供たちが来てくれます。
それはお父さんとお母さんが、子供たちの今ある瞬間が特別だと思って写真を残そうとしてくれているからではないでしょうか。
それと同じように、家族一人一人に、友人に、お世話になっている人に、ペットに。誰かを大切に思う気持ちはみんなにあるもの。
でも、大人になってくると大切な誰かと写真を撮る機会ってどんどん減ってきますよね。実際、私もそうです。
住む場所も離れてしまっていたり、家族であれば友人と撮るのとはわけが違ってなんだか恥ずかしかったり。たった一言「写真を撮ろう」と言うだけなのに。それがなんだか難しく感じてしまうんですよね。
でも、そのちょっとした恥ずかしさが後悔に繋がる経験がありました。
祖父母に教わった大切なこと
恥ずかしがらずに家族の写真をもっと撮っておけばよかった、とすごく後悔するできことのきっかけは、祖父の死でした。
突然ですが、私は大のおばあちゃん子。私の両親は離婚していて祖母と過ごすことが多く、小さい時から祖母のことが大好き。いつも畑仕事をする祖母の後ろにくっついていました。
生きる上で大切なたくさんのことを教えてもらったのも、たくさん叱って私を育ててくれたのも、祖母です。
今でもたまに電話をして「最近寒くなってきた」とか、「沖縄の暮らしはどうだ」とか、たわいもない話をするのが楽しみの一つ。
さて、祖父はというと、あまり多くは語らない人でした。
小さい時はちょっぴり怖くて、話しかける時もドキドキしながら。頑固だし、怒ったらすんごい怖いし。そんな祖父にも慣れてきたのは大人になった証でしょうか。(笑)
でも、思い返せば読書が好きでとにかく物知り。孫たちのために車庫にブランコを作ってくれたり、好物を何も言わずに晩御飯の時に作ってくれてたり。
本当はすごく優しくて愛情深い人なんだと気づきました。そして頑固なのも信念があるからで、地域のたくさんの人に頼られているということも知りました。
今では私にとって本当にかっこよくて憧れの存在です。そんな祖父の死は突然のことで、私が沖縄にやってきてすぐのことでした。
今でも信じられない気持ちで、いつも家族を守ってくれていた祖父の存在がどれだけ大きかったかを知りました。
そしてその時に、私はカメラマンとしてこれまでたくさんの家族を撮ってきたのに、自分の家族の写真を全然撮っていないということに気がついたのです。
小さいときの家族の写真はアルバムを見返せばたくさんあります。だけど、大きくなるにつれ写真は友達と撮るものになり、家族とはほとんど撮らなくなっていきました。
きっとそういう人、少なくないんじゃないかな、と思うんです。もっと祖父と写真を撮っておけばよかったなあって、お葬式の日に思いました。
帰省するタイミングは何度もあったのに、帰れば「おー、おかえり」と言ってくれる祖父が目の前にいたのに。
そして祖母の為にも、もっともっと残しておけばよかったなあって。
すごくすごく、後悔しました。
何気なく撮ったあの日の写真
そんな私でしたが、全く撮っていなかったわけでもありません。数年前に1度だけ、祖父母と私の3人で縁側に座って写真を撮ったことがありました。
それは本当になんでもない日で、なんとなく撮った1枚です。
今では大切で特別な1枚となったわけですが、その時はこの写真がそんな存在になるなんて夢にも思っていませんでした。
後から自分にとってとても価値のあるものになる。それは写真の持つ不思議な力のひとつです。きっと誰しも一度は感じたことがあると思います。
着ている洋服、撮影している場所、一緒に写っている人、そこに写っているあらゆる情報から、当時の記憶やエピソードが思い出されますよね。
私の場合は、祖父の隣に座った時のくすぐったい気持ち、笑うとみんな目がなくなること、慣れないカメラを持って一生懸命撮ってくれている母の姿。
この瞬間がどれだけかけがえのないものだったのか、今ではわかります。
当たり前こそ残して欲しい
今が当たり前でなくなる瞬間は、いつどんなときにやって来るかわかりません。
毎日通っていた学校にある日突然通えなくなる。
大好きな場所に行けなくなる。
友達と直接会ってたわいもないことで笑えなくなる。
大切な誰かがいなくなる。
いつも当たり前に側にあったものが突然なくなった時、それがいかにかけがえのないものであったか気づくことがあります。
赤ちゃんが成長していく過程もそうですね。
ハイハイやヨチヨチ歩きから、気づけばすっかり頼もしく歩くようになっていく。もちろん成長はとても嬉しい。だけど、あのヨチヨチ感はもう戻ってこないからもっと写真に残しておけばよかった、なんて声もよく聞く話。
思い出はもちろん心の中にありますが、写真という媒体を経てより鮮明に、形として残すことができます。
2020年春、大切な人となかなか会えない辛さを、本当にたくさんの人が味わいました。
目標を諦めざるを得なくなった人、居場所を失った人、やるせない思いがどこにも行けず、悲しい思いをした人は少なくないと思っています。
写真がそれらを解決できるわけではありません。
だけど残していた写真に、元気付けられたり心を優しくされることがあるのは事実です。
これまでの日常の大切さに多くの人が気付かされた今だからこそ、これからはふとした瞬間もたくさん残していきたいな、と思うのです。
写真は記憶を目に見える形で記録する媒体となり、人の心を動かします。
「何が自分にとって大切なのか」ということに多くの人が気付かされた今だからこそ、写真を残して欲しいなと思うのです。
私はフォトグラファーとして、皆さんの撮りたい写真にできる限り応えたいと思っています。後悔してほしくないんです。
大切な誰かと写真を残すことに、ルールはありません。
こんな写真でもいいのかな?と思う方はぜひ一度ご相談ください。できることはなんでも叶えたい。
そして祖父母と撮った、たった1枚の写真から気付いた想いを、これからも伝え続けていきます。