株式会社クッポグラフィー ウェディングフォト・ファミリーフォトの撮影

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「思春期」というあの頃にしかない特別な距離感も、まるごと写真に残したい

自分たちで写真を撮る場面を意識的に作らないと、当たり前のように過ぎていく成長の通過点。

特に多感な「思春期」というのは思ったよりも短く、そして親子の関係も多様です。

だからなのか、中高生の頃に家族と一緒に撮った写真は意外と少ないと思いませんか?

でも、そんな時期こそ是非とも残してほしい。それは、写真があとから教えてくれるものがたくさんあるから。

今日はそんな多感な時期の家族写真について私なりに伝えたいことがあります。


思春期の微妙な距離感こそ、写真に残して欲しい

そもそも自分が中高生の頃って家族写真を積極的に撮っていましたか?

思春期を通ってきた私の記憶する限りでは、写真はもちろん、家族と一緒に何かをするって照れくさいものでした。

親も小さな頃より家族写真を撮ることに重きを置いていなかったように思います。

だけど、毎年1枚でも家族の写真があれば、成長を感じたり、出来事を振り返ったりすることができる。

その1枚が、時間が経てば特別なものに変わると私は信じています。

もちろん思春期の多感な時期、ノリがイマイチな子どもを誘って家族写真を撮ることは、そう簡単なことではないかもしれません。

でもそうやってなんとか撮った仏頂面も、微妙な距離感も、丸ごと収めてしまえばいい。私たちも撮影のとき、無理に笑顔を作ってもらったりはしません。

ただありのままの、今の家族の形を残すことに意味がある、と思っているからです。

身体の成長だけでなく、何かを乗り越えたり達成したりと、いろんな経験は表情にも少しずつ表れていく、と私は思っていて。

その時は分からなくても、もっとずっと大人になった時にふと気づく変化ってたくさんあるもの。

そしてそれは家族にとっても同じ。どんな気持ちで見守っていたか、当時あった心配事、交わした言葉たち。

写真があとから教えてくれるものや、思い出させてくれるものはたくさんある、ということを知っていてほしいのです。


「あの頃」の写真フォルダには、誰がいましたか?

私が中高生のころはガラパゴス携帯、いわゆるガラケーでした。今はカメラ機能の充実したスマートフォンをみんな持っています。

いろんなフィルターがあったり動画も撮れたりと、スマホとガラケーの機能は雲泥の差。

ただ、私があの頃一生懸命ガラケーで撮っていた写真と、今の中高生が写しているものはそんなに変わらないと思っています。

学校や休みの日にあった楽しい思い出、頑張ったこと、食べているもの、そしてそれらはたいてい友だちと一緒で。

逆に、お父さんお母さんの写真フォルダはどうでしょう。

お子さんが小さい時はたくさん写真を撮っていたのに最近減ってきたな。しばらくみんなで揃って撮っていないな。なんて思っている方、少なくないんじゃないでしょうか。

もちろん、それが悪いという話では全く無いのです。中学・高校生というのは、それまで家族が全てだった幼少期から、どんどん外に目を向けて世界を広げていく時期。

友達や自分の大切なことへ費やす時間が増え、フォルダの中の家族が減っていくのは、ごく自然なことだと言えます。


人生で何度もない、家族写真を撮るタイミング

一生のうちで、家族写真を撮りたいな、と思うタイミングは実はそう多くはありません。

生後100日記念日に七五三、沖縄の場合は※13祝いなんかも。それから卒業・卒園、入園・入学や成人式、結婚式。

また、卒入学や成人式などは家族で撮ることを重要視していないこともあるかと思います。成人式も本人だけという場合が多いのではないでしょうか。

※13祝い:沖縄のトゥシビー(生年祝い)のひとつ。生まれた時の干支が再び巡ってきたことを祝い、子どもたちの成長を祝う行事。数え歳で13歳になる年のお正月に親族みんなで盛大にお祝いをします。

当たり前のように過ぎていく日々を写真に残す、のはやはり冒頭でお伝えしたように、意識的に作らないといけないもの。

さらに一般的に”通過儀礼の中で家族写真を撮るタイミングは意外と少ない”ということを頭の片隅に置いておいてほしいのです。


思春期にスタジオで家族写真を残すって、ちょっと言い出しにくいこと?

そうは言っても、なかなか誘いにくいものですよね、思春期の子どもにスタジオで写真撮ろうよって。

みんながみんないつも仲良しな家族っていうわけではないと思うし、お父さんとちょっと今は話したくない女の子も、お母さんに絶賛反抗期中の男の子もいます。

私はそんな様子すら残してしまえばいい(むしろ撮りたい!)と思っているし、スタジオに来てくれたらあとは任せてください!と思っています。

しかしながら、そもそもそこに至るまでがきっと大変。どうしたらいいのでしょう。

例えば、お正月に親族が集合したタイミングや年賀状用に家族写真を撮りにスタジオへ行こうと提案する。


もしお子さんがまだ小さいのであれば、毎年スタジオで家族写真を残す、家族にとってそれを恒例行事にしちゃうのもいいかなと思います。


スタジオに家族で行くこと自体が、一緒に時間を過ごす口実になるし、恒例にしてしまえばそういうものだからと、きっと毎年みんな来てくれる。はず。(笑)


いやいや、もしかしたら毎年楽しみになってくるかもしれないし、今年はどんな風に撮ってもらおうか?今年も撮るの?と子どもたちの方から提案してくれるかもしれません。


うちはこんな風にしているよ、など他にもアイデアがあればぜひ教えてください。


そして今は中高生に焦点を当てていますが、大人になっても、写真を撮ることで家族が集まるきっかけになれたらいいなとも思っています。


思春期を経験した私の願い

私の場合、中高生の頃って目の前のことにただただ夢中でした。そしてそんな日常を写真に撮って記録しようなんて思ってもいなくて。

そんな中でも、わずかに残っていて大切にしている写真があります。

中学の入学式の日に玄関の前で母と並んで写っている写真、高校生の頃生活していた寮の部屋、共に受験勉強を頑張った仲間たち。

そんな1枚1枚に、時に初心に返ってまた頑張ろうと、背中を押してもらえるのです。

だからこそもっと写真に残しておけばよかったなあと後悔することが多くて。特に家族との写真は本当に少なく・・・例えば、当時弟がどんな顔つきだったかなんてことさえも忘れていることがあります。

私がこうして書くことで誰か一人でも、「そういえば最近家族で写真撮っていないな。撮ろう!」と思ってもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。


中高生くらいから、なかなか撮らなくなる家族写真。

小さい時のようにたくさん撮って、全ての成長を残そうと一生懸命にならなくてもいい。自分の大切なものをたくさん残したらいいんです。

でも、たった1枚の写真がいつの日かとても特別になる、という感覚をわかってくれる人は、きっとたくさんいるはず。

写真だけは年齢も感情も色あせないモノ。だからこそ、家族写真から離れがちな時期に「1枚だけでも残す」ということを、何度も伝え続けたいと思っています。